2024/02/24

ことばの贈り物 アーカイブス 8

2018年の「泉ヶ丘通信」に掲載した文章をお送りしたい。

本年度より学校長を拝命いたしました江口宗茂と申します。保護者の皆様におかれましては、聴きなれないとお感じの方もおられることかと思います。昨年度副校長として本校に赴任し、今年度本校2年目を迎えます。それ以前は別の学校法人で学校長を4年ほど務めておりました。また、それ以前は民間教育機関で25年近く、国語の授業や組織運営全般に携わっておりました。

少し時計の針を戻しましょう。時は昭和57年(1982年)。当時の大卒の就職事情はそれほど悪くもなく、日本経済もまだまだ堅調でした。インターネットや携帯電話もない時代でしたから、求人専門会社から送られてきた数千社にのぼるおびただしい数の企業情報を一社ずつ眺めながら、自分の就職したい企業を探すという、きわめてアナログチックな作業から就職活動は始まります。

僕はその膨大な情報量と社会に出る不透明感にすっかり疲れ切ってしまいました。急に髪の毛を切って、髭を剃って、スーツに身を包む仲間を見ながら、「嘘つき」と心の中で叫びながらも、行き場のないやるせなさと答えの出ないもどかしさを感じていました。

下宿の片隅で自分の適正に悩み抜くまま、徒らに時間だけが過ぎていきます。多くの企業が次々と求人終了を打ち出す時期となっても一向に目標が定まらず、結局最も自分が興味を持っていた「俳優修業」に身を置くことに決めました。

社会に出て数年。どっぷり身を浸した俳優修業の中で、多くの舞台を踏み、たまにドラマの端役も経験しました。にもかかわらず、学生時代の仲間たちが社会人として成長していく姿を遠目で眺めながら、社会から取り残されている焦りと、努力しても報われないこの世界の不条理に悶々とした日々を過ごしていました。悩みぬいた末、結局俳優修業から足を洗いました。昭和61年のころかと思います。それからは、先ほど申し上げました民間教育機関から新たなキャリアを歩み始め、今に至ります。

本日はここまで。続きは明日お送りしたい。ではでは。(2018・07・18)