2021/06/14

ことばの贈り物 2021/06/14

深夜の雷鳴に目を覚まされた方も多かったのではなかろうか。東の窓から差し込む稲光に、私も何度か睡眠が中断された。朝、道がしっかり濡れているところに、昨夜の風雨の激しさを感じる。皆さんはいかがお過ごしだったろうか。
 
さて、週末の出来事をひとつ。ちょうど授業が終わって、生徒を送り出していた時の、ある女子中学生との会話。マスクの上に覗く瞼が少し腫れぼったい感じがした。そこで、
 
「おう、『めばちこ』が出来ているね、気を付けないとね。」
気遣いのつもりで、そう声を掛けたのだが。(「めばちこ」とは関西弁。一般的には「ものもらい」と称されている。)
「いえ……」歩みを止めて、私の「めばちこ」説を否定する。
「??????」
「夕べ、犬が亡くなったんです。」そう告げるのが精いっぱい。
間髪入れず、階段を足早に駆け下りて行く少女。その後ろ姿から、涙ぐんでいる様子が見て取れた。少女の悲しみの深さは、いかばかりか……。
 
私も小学校3年生の時に飼っていた柴犬を亡くした。生き物の死に接した初めての経験だった。死んだものは蘇らない、その後時間とともに死後硬直が始まる。そんなことを学んだ。そして、家族で丁寧に土に返したことを思い出す。
 
今まで当たり前のように存在していたものが突然無くなる。この少女もきっと、そういったやり場のない無常観に心痛めていたのであろう。大人の階段を一段上ったことに気付くには、もう少し時間が必要なのだろう。