2019/06/21

ことばの贈り物 2019/06/21

爽やかな朝を迎えている。梅雨入りは今しばらく先のように思われる。

さて、先日も申し上げたが、今年度のひとつのポイントとして、「生徒会」の積極的参加、というものが挙げられる。生徒会活動を通じて、生徒の主体性の涵養を実現したい。生徒会が学校のある部分をけん引していく。そんなことを始めよう。

生徒会担当教員や管理職も積極的に生徒会活動に関わる。そういった仕組みが少しずつ形となって現れつつあるように思える。生徒会が途切れることなく自主的に朝の生徒の出迎えを実施していることもそのひとつ。学校全体にあいさつの輪を広げよう。少しずつ、そんな輪が広がりつつあるように感じる。

本日は、少し長くなるが、先日の「生徒指導だより」に掲載されていた「挨拶」の意味という生徒指導部の文章の一部をご紹介したい。お付き合い願いたい。

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ひとは、ひととの関係のなかでしか生きていけません。皆さんも、世の中に出れば、ひととひととの関係のなかでしか、仕事をしたり、家庭を築いたりすることはできません。かんたんな仕事ひとつをとっても、ひとりでできることは少ないもので、だれかしらと協力したり、許可をもらったり、報告したりしながら進めなくてはいけません。

学校の友だち関係と、世の中に出てからの(例えば仕事の)人間関係の大きなちがいは、自分と考え方が違ったり、気が合わなかったりするひとたちとの関係のもちかたにあります。学校の友だち関係なら、気の合わないひととは関わらないでおけば済むことも多いかもしれませんが、それでは世間を渡っていくことはできません。

ひとりでできる仕事はほとんどありませんので、考えの違うひとや、気の合わないひととでも、きちんとコミュニケーションをとって、それなりに良好な関係を築いていかなければ、どれほど優秀なひとでも、世の中で自分のやりたい仕事を成し遂げて、自己実現をすることはできません。

そして、ひととのコミュニケーションの基本は、やっぱり「挨拶」なんです。例えば、日ごろからちゃんと挨拶ができていれば、ちょっとミスをしてしまっても、「いつもきちんと挨拶してくれてるから」と大目に見てもらえることもあるかもしれません。信頼関係が築かれているということです。逆に、ちゃんと挨拶ができていなければ、そつなく仕事をこなしても「あいつはそもそも挨拶もしない」と見放されることだってあります。

もちろん、ここで言う「挨拶」とは単なる「おはようございます」だけではなく、都度(つど)々々のお礼であったり、報告であったり、そうしたものも含めた広い話になりますが、「おはようございます」が言えないようでは、他の大人の挨拶ができるはずもありません。

よく考えてほしいのは、皆さんが、自分自身、「挨拶のできるひと」になりたいのか、そうでないのか。自分自身がどうありたいのか、どうなりたいのかを、しっかり考えて行動してください。

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以上である。最後までお付き合いくださってありがとう。