2019/07/20

ことばの贈り物 2019/07/20

定期テスト終了後、懇談の準備や夏休みの補習準備、2学期早々に始まる文化祭や体育大会の準備も少しずつ進んでいる。そんな中、来週22日に「ココロの学校2019」が開催される。高校1年生だけが対象となるが、山口絵理子氏をお招きしての講演会。とても楽しみにしている。山口氏のお言葉をご紹介したい。(以下『裸でも生きる』より) 私は、学校でも、柔道でも、そして大学生活でも、つねに1番にならなきゃ意味がないと信じてきた。競争に勝ったものだけが言える言葉があり、また見える世界があると信じて行動してきた。つねに他人と競争し、比較し、相対的な価値観に頼り生きてきた。 しかし、大学四年生の時「現場が見たい」という思いだけで、バングラデシュに行こうと決意し、実際に二年間滞在し、起業し、会社を経営する中で、その価値観を捨てた。 バングラデシュの大学院に行くと言ったとき、周りは反対した。なんでちゃんと大学まで卒業しているのに、そんな生きて帰れるかもわからない場所に行くの。バングラデシュで起業しようと決意したときも、周りは反対した。起業なんて、そんな簡単じゃない。できるわけない。 ただ、そんな周りの声の中、私が拠り所にしたことは、たとえば尊敬する人の言葉でも、素晴らしい本でもなんでもなく、自分自身だった。 バングラデシュで見てきた現実の中で自分の人生に最も影響を与えたものは、明日に向かって必死に生きる人たちの姿だった。食べ物が十分でない、きれいな服もない、家族もない、約束された将来もない。そして生活はいつも政治により阻害され、きれいな水を飲むにも何キロも歩かなければならない。そんな人たちが毎日必死に生きていた。 ただただ生きるために、生きていた。 そんな姿を毎日見ていたら、バングラデシュの人が自分に問いかけているような気がした。「君はなんでそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?」って。 自分は一体何をしてきたんだ。他人と比べて一番になるなんてちっぽけなことに全力を注ぎ、泣いたり笑ったり。こんな幸運な星の下に生まれておいて、周りを気にして自分ができることにも挑戦せず、したいことも我慢して、いろんな制約条件を自分自身の中だけでつくりだし、自分の心の声から無意識に耳を背け、時間と共に流れていく。 バングラデシュのみんなに比べて山ほど選択肢が広がっている私の人生の中、自分が彼らにできることはなんだろう。それは、まず自分自身が信じる道を生きることだった。 他人にどう言われようが、他人にどう見られ評価されようが、たとえ裸になってでも自分が信じた道を歩く。それが、バングラデシュのみんなが教えてくれたことに対する私なりの答えだ。(以上『裸でも生きる』より) 月曜日の再会に、わくわくココロ躍らせている自分がいる。