2022/12/10

母との想い出 1

先日のことではあるが、今年度第2回目の「授業参観」を実施した。我が子の成長にドキリとさせられる。そういったご経験を、大なり小なり保護者の方はなさるのではなかろうか。それに因んで、私自身にも授業参観の想い出がある。全然カッコよくない内容である。本日は個人的なことになるが、私の幼少期の授業参観の想い出をお届けしたい。お付き合い願いたい。
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私の家庭は、父が病弱で入退院を繰り返しながらの会社勤めをしていた。病状回復が見込めず、50歳を前に早期退職(当時は55歳定年だったと記憶する)を余儀なくされた。私が小学校4年生のころである。以来、いやそれ以前から、母が家計を支える中心となっていた。

母は3人の子どもを育てながら、家計を支えるという重責を担う。大正生まれで、戦争をくぐりぬけた苦労人。少々のことでへこたれるような女性ではなかった。いつも前向きで、明るい。でも、筋を通す迫力のある女性だった。

母が家計を支えていた加減で、参観に母が来てくれたことは、後にも先にも一度しかない。それは確か、小学校3年生の時だと思う。授業中に教室の後ろの扉が開き、生徒はみんな一斉にそちらを振り返った。もちろん私も振り返った。

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本日はここまで。続きはまた明日。