2023/05/20

1982年のころ 5

結局、ネクタイの締め方が分からないまま、卒業を迎える。卒業後の落ち着き先に選んだのが「関西芸術座」という当時関西で100人規模の団員を抱える老舗劇団。そこの養成所に、少し飛び級で入れてもらって、卒業後の落ち着き先が何とか決まった。

大学の卒業記念写真のいで立ちは、初めて袖を通したスーツに髭面。おおよそ社会人としての自覚はない。そこから私の3年ほどの舞台人としての生活がスタートした。そのことはまた稿を改めて。

さてこの春、本校を卒業した生徒の一人に「舞台の仕事」をするために、大学を選びたいという生徒がいた。私にも進路相談があった。

「校長先生、進路で迷っています。将来の安定を目指すのか、自分のやりたいことを目指すのか。どちらがいいですか?」

とても聡明で、勉学も優秀な生徒。保護者は誰しも「安定」を進路選択の最上位に掲げる。本人はそこにどこか抵抗感があって、自分らしさを追求したいという思いが強いようだった。

で、私が生徒に出した結論は「最終的には自分の進路は自分で決めなさい。でも、もしあなたが私の子どもならきっと『安定』を選択しなさいって言うだろうね。それに納得するか、反発するか、それは自己責任だね」

結局その生徒は後日、私に「夢を選択します!」と、高らかに宣言し、見事、難関の舞台芸術を志す国公立大学に合格した。現在その夢に向かって突き進んでいる。

私の現役人生はそう長くは残されていない。64歳と言えば、もう同級生のほとんどがその役割を終えようとしている。例の「大手磁器メーカー」に就職した友人のその後は……。それは明日語ろう。