2021/07/11

ことばの贈り物 2021/07/11

お休みのひと時をいかがお過ごしだろうか。昨日辺りから校内でもセミの声が聞こえだした。梅雨明けはまだ先のようであるが、季節は既に夏を告げている。このところ自然界において「ほど良い」加減が、失われつつあることに不安を抱いているひとりである。
 
さて、先日の学院小学校の説明会で「校長先生は、毎朝生徒の出迎えに立っておられますが、どうしてそういったことをされているのですか?」といった素朴な質問を受けた。以下、私の考えを改めてお話ししたい。
 
全校生徒1450名あまりが毎朝通用門から登校してくる。その中には、ごくわずかではあるが、自分では背負いきれないほどの大きな悩みを抱えている生徒もいる。中には学校に来づらい、教室には入りづらいといった生徒もいる。
 
私は、毎朝500回を超える「おはよう!」の声掛けをさせてもらっている。その真意は「よく来たね」「キミの居場所はちゃんとあるかい?」「今日も仲よく明るくね!」そんな願いを込めての「声掛け」である。
 
積極的であれ消極的であれ、応答してくれる生徒が大半。だけど、中には応答できない生徒もいる。反抗期なのかな?家で何かあったのかな?悩みを抱えているのかな?と、ついつい気になってしまう。わずか数秒のことなので、その時は分からなくとも、それを毎日繰り返す中から見えてくるものもある。
 
挨拶をする目的は、「よく来たね!」というねぎらいの気持ち。そして、気持ちのしんどい生徒への励ましのエール。下校時の送り出しの「さよなら」も同じ。「本校での学びを楽しんでほしい!」そんな願いを抱きながら、朝な夕な、子どもたちと接している。そしてそれが、私に唯一与えられた「授業」だと思っている。