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ことばの贈り物
ことばの贈り物 2019/12/23
2019/12/23
ことばの贈り物 2019/12/23
先週の金曜日、高校入試の生徒のための最後の学校見学会が開催された。説明会でお話ししていることは共通のテーマ。「ありがとう」という言葉の持つ意味を考えよう。「ありがとう」の語源は「有難し」という古語。「有難し」はめったに起こらない現象。
それに対して「有難し」の反対の意味を持つ言葉は「当たり前」となろう。日ごろ「ありがとう」と発する場面では、「当たり前」という発想はない。ところが、よくよく考えてみると、この世に「当たり前」などということは存在しないのではないか。
「毎日のお弁当」「清潔な制服」「学用品の完備」。それらはすべて、誰かがあなたのためにやってくれていること。お弁当が作られていない時、制服にアイロンがかかっていない時、必要なノートが手に入らない時。「当たり前」なんてどこにも存在しない。いつも誰かがあなたを支えてくれているということに気付かされる。
人は自分ひとりで生きていくことは出来ない。常に誰かの支えがあってこそ自分が存在できる。その人の支えている姿が見えるか?その人の思いが感じられるか?それが得心されたときに発せられる言葉が「ありがとう」。素直に「ありがとう」が発せられる人であってほしい。
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