2019/09/28

ことばの贈り物 2019/09/28

9月も間もなく終えようとしている。本校では生徒の成長を側面からバックアップする体制としていくつかの校務分掌がある。そのひとつに生徒の規範意識の喚起、社会性の涵養を目的とした「生徒指導部」という組織がある。この組織では、生徒への啓蒙活動の一環として「生徒指導だより」を発行している。本日はその第11号の内容をご紹介したい。

タイトルは「『延着』なら許される?」である。そこでひとつの問題提起がなされた。電車やバスが延着した場合、確かに記録上では「遅刻」扱いにはならない。しかし、それなら、遅れたとしても、急がなくてもよいのか?こういった提起に対して、以下のような問いかけがなされる。抜粋してご紹介する。

(問)あなたは、電車の延着があったために、友達との待ち合わせの時間に遅れました。駅に着いて待ち合わせ場所に向かうと、前方50mくらいのところに、友達が待っているのが見えました。友達もあなたに気付いて手を振りました。そのとき、あなたはゆっくり歩いていきますか?それとも駆け足になりますか?

(問)あなたは成人して、就職しています。N社から億単位の商品を仕入れることになりました。契約の日に、N社から「渋滞に巻き込まれて少し遅れる」と連絡がありました。20分ほどしてふと窓越しに,N社の社員が駐車場からこちらに向かうのが見えました。その二人は、談笑しながらゆっくりとこちらに歩いてきます。あなたはその二人の様子を見てどう感じますか?

「生徒指導だより」の最後は、こういう結びになっている。

どのようなときも、遅れたときには急ぐことが「誠意」です。なぜなら、「遅れた」ということは、誰かを「待たせている」ということであり、どのような理由で遅れたにせよ、その待たされている誰かには、一切責任はないからです。遅れた人は、どのような事情があったとしても、相手を待たせたという事実・結果に対して、何らかの「誠意」を見せなければなりません。

本日はここまで。